中国医学と老子の思想

読書(自分の心に残った名言)

中国医学の背景には「老子」の思想が反映されていると考えられます。
❛人間の真実❜を探求する広い意味での❛哲学思想❜ですが、身体とこころが一体であり
精神的・身体的な働きの全般を一体的に捉えることでは中医医学の医学思想そのものと言っても過言ではない内容をもっているといえます。

中医学はよく「気」の医学であるといわれることがあります。
「身体」と「心」も両方が「気」で構成されていると考え、その我々自身を取り巻く「宇宙」
も「気」で出来ているため、これらがほどよくバランスをとることが重要であるという認識
です。

ただ呼吸法の鍛錬を通じた身—心の修行があり、この修行の実践こそ、中国医学の思想的背景で
この思想的背景なくして中国医学はありえない。この正しい理解なくして中国医学の正しい理解
もありえないといっています。

有名な言葉に「知る者は言わず、言うものは知らず」というものがあります。
我々人間の「知」は有限であり、絶対的な真理を認識することはできない。
このため医学の分野においても、己が「知」の限界を理解しておくことは重要です。

書不尽言、言不尽意 (書は言を尽くさず、言は意を尽くさず)より・・・・・・医者意也(医は意なり)この「医者意也」の解説が中心のようにもおもえます。

上の「医は意なり」について「老子の道(たお)」「相対観」「無為」という修行を
達成できた人間が❛超越的❜❛理性的❜な思惟を超えた❛極意❜を習得できる。
老子の「道」「相対観」「無為」などの概念は紹介の書籍に別の詳しい解説があります。
読んでみていただきたいです。例えば人間の真実を体得するために(無為)を行え、
と言うのである。この<無為>とは、要するに、一種の身体的訓練を通じて、能動的に
おのが意識の深層領域に参入し、そこに自己の真相を体現する、謂わば、哲学的実践の
過程である。

『後漢書』「郭玉伝」において
郭玉のいわゆる(医の言為るや意なり、・・・・解することを得るべくも、言うことを
得るべからざるなり、>郭玉の一種さとりにも似た神技として発現する医術の❛極意❜が
彼みずからの意識の中では、微妙ではあるが確固として体現されているにもかかわらず
それを、<言>ことばの次元で表現し説明しようとすると、かえってこれを失ってしまう
不可能事である・・・・ことを痛感せざるをえないという考え方を、ちゅうごくの古典文献中
において存在と言葉の乖離を記述している。

現代医療の諸問題に対する一つの回答

現代医学(史)家たちの近代的で緻密な医学(史)的研究を管見するに、概ね現代医学は、
この古き良き、❛常識❜を捨て去る過程を経て近代的な医学体系を築くに至ったとされている
ようである。
個々の人間存在を精神(こころ)と形(かたち)の統合体として把握し、そのほどよき
バランスこそが長寿の要訣であるという考え方は現代医学思想においては、種々の事情も
あるであろうが結果的に捨て去られた認識である。
所謂❛細胞病理学説❜において、徹底的に、機械論的に分析された❛ヒト❜の姿は、もはや日常的
人間生活の次元の❛人間❜のそれではない。そこに極度に発達し、細分化された厳密な、❛学❜の
体系としての現代医学と❛人間❜としての取り扱いを受けることなく、病苦におののく現代人との
手の施しようもない大きな乖離の萌芽があることを鑑みれば、この(精神)と(形)とのほど
よきバランスが長寿の要訣であるというまさに古き・・そして人間存在の本質を鋭く突く・・
考え方が中国古代・・・ひいては古代世界全体に亘る・・・・医学思想の一大特質をなすもの
であったということは、きわめて容易に首肯される所であろう。