中医学と哲学

読書(自分の心に残った名言)

ユーチューブで北京中医薬大学の曲黎敏教授の講義を無料でみることができます。
2012年に発刊された「生命沈思録」を部分的に解説されています。

長く中医学の勉強をしてきましたが、これほど興味ある講義を聞いたことはなかったです。
先生の講義では哲学的な話が多いです。

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二度めになりますが森信三先生の「恩の形而上学」を読んでいます。
深く思考する人間は同じようなことを考えるのでしょうか、曲黎敏先生と共通する言葉が
よくでてきます。

難解な書籍ですが将来役立つだろうと、中医学との接点を探りながら読んでいます。

共通点があると思われるところを紹介します。

「併(しか)しながら、同時にまた哲学が「全」の学、実在の学である以上、有現存在と
しての我々人間における「全」の把握と体認は、所謂(いわゆる)天人の合一として、
何等かの意味で絶対と相対、全と個との会点の自覚的把握であって、その間、相つうずる
処があるべきというべきであろう。

中医学には天人相応という言葉があります。

円は大小如何ようにも描け、その間千差万別あろうとも、円足る以上は必ず中心としての
円心がなければならぬように、今哲学においても、実在の把握様式は人により如何に
異なるとも、いやしくもそれが哲学として、実在の円相を把握する限り、そこには必ずや
一貫するところがなければならぬ。

中医学にもいろいろな学派がありますが、一貫するところが必要です。

かくしてこの一貫的なある物を如何ように掴み、またそれに従って如何ように名付ける
かは、人によって千差万別であろうが、その一貫的なあるものが、所謂天人の合一として
絶対と相対、全と個、神と人の合一境の自証展開である一事に至っては、豪も疑いを
容れない。

弁証論治に違いはあっても、中心にあるものは一貫している。

かくして哲学の中心は、ついにこの天人合一の自覚的把握の外なく、さらには一切
人間生活の終局目標もまたこの一点にあるということを妨げない。

「哲学」を「中医学」と置き換えても全くおかしくありません。

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