中国医学も、もとはといえば中国哲学から発祥しています。中医師が「易経」を
読んでいるのを見ることがあります。
第三章 東西哲学の融合の独創 西田幾多郎と中国哲学
この章について紹介したいと思います。
西田幾多郎といえば日本を代表する哲学者、自分などが読んでも何一つ理解できる
事はないだろうと考えていましたが、中医学を勉強していたせいか理解できる部分
もありました。
西田は一生を通じて中国哲学に関心を抱き続け、日記には孟子の「富貴淫する能わず、
貧賤移す能わず、威武屈する能わず」を座右の銘とし、ある日の日記には『四書』、
老荘、王陽明などが記され、中国哲学への深い関心を保持し、思想的に大きな恩恵を
受けていたようです。
「現代でもなお人々の感情を揺り動かし続けている以上、儒教をはじめとする
中国哲学は、博物館の展示品ではなく、今も社会を発展させるための人々の
情念の根源となっている」と西田は説いている。晩年西田は「大道通長安」“大道長安に通ず”という額を揮毫するなど、中国哲学
への憧憬をあからさまにするようになる。「哲学は学問である。学問は理性に基づき、誰もが認める真理でなければならない。
哲学の真理に古今、東西の別はないが、一方哲学は学問であるとともに、
人々の感情、生命を表現する芸術、宗教でもある。この意味で西方の哲学があり
東方には東方の哲学がある。
東西文明の融合こそ、西田哲学の最大の特色であり、最大の歴史的貢献であるといって
います。東洋人の哲学はわれわれの生命表現であり、数千年にわたりわれわれを育んできた
東洋文化の結晶である。われわれは西洋に優りこそすれ、遅れをとることはないのである。
ここで「哲学」を「医学」におきかえても問題はでてきません。
我々の善とは或一種または一時の要求のみを満足するの謂でなく、或一つの要求はただ
全体との関係上において初めて善となることは明である。たとえば身体の善はその一局部の健康でなくして、全身の健康なる関係にあると
同一である。それで活動説よりみて、善とはまず種々なる活動の一致調和或は中庸ということと
ならねばならぬ。我々の良心とは調和統一の意識作用ということとなる。 『善の研究』
これは中医学の全身をみてその関係を弁証することと、同じことをいっています。
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