精神も静かで潔(清)らかな場所に落ち着く

精神疾患

精神疾患について、中医学的に考えてみます。

素問「湯液醪醴論」

「・・・・・・精神進まず、志意治まらず。故に病癒ゆべからず。今、
壊れ、去り 営衛 復た収むべからず。

何となれば、嗜欲、窮まりなくして憂患止まず。精気弛緩し、泣(しぶ)り 
除かる。故に神これを去りて 病癒えざるなり。

一般の疾患に関して言っていますが、精神疾患にも勿論つながります。

霊枢「本神論」には

:天が人に賦与した徳と地が賦与した気が交わり、人が生存するための
  最初の物質

:男女が交わり二つの精が結合して出来た生命の機(しかけ)

:神気に従って往来する精神活動

:精に従う先天的本能

:母体から離れたのち生命活動を主宰

:心の中に記されるがまだ定まらないもの

:意が思慮したものを決定実行するもの

中医学では、これらの精・神・魂・魄・心・意・志が五臓に関係付けられて
います(例えば『意志』という言葉をよく使いますが、“意”は脾の神、
“志”は腎の神、つまり脾腎が健全に働かないと意志は生じないです。

結局、欲望を虚しくすれば神は身体に入って宿るだろう。
潔(清)らかならざるものを除けば、神はそこの留まるだろう。
             (管子 心術上篇)

人の精神は、つねになにもない静かなところに居り、濁り汚れたところに
いようとしない。
(それゆえ)精(神)を(自己の身体に)戻そうと望むならば皆、香をたきしめた
部屋で、自らを清めつつしむべきである。(太平御覧)

常になにもない:執着と考えてみました。

現代社会をみて、やはり精神を病む人が増えるのはしかたないのでしょうか。

嗜欲、窮まりなくして、憂患止まず。この辺のところが重要なんでしょうね。

それぞれが、静かな時間、気持ちを空虚にする時間を持つ工夫が大事ですね。

参考図書:気流れる身体(石田秀実 著)
    :黄帝内経素問・霊枢(東洋学術出版社)

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