漱石「彼岸過迄」にみられる脳中の元神と心中の識神

読書(自分の心に残った名言)

漱石の作品にはまるで精神分析医が思考しているような箇所がよくみられます。

僕の頭(ヘッド)は僕の胸(ハート)を抑えるためにできていた。
行動の結果からみて、甚(はなはだ)しい悔いを遺(のこ)さない過去を顧みると
これが人間の常体かとも思う。

けれども胸(ハート)が熱しかけるたびに、厳粛な頭(ヘッド)の威力を無理やりに
加えられるのは、普通だれでも経験するとおり、甚しい苦痛である。

僕は意地張りという点において、どっちかいうとむしろ陰性の癇癪もちだから、
発作に心を襲われた人が急に理性のために喰い留められて、激しい自転車の速力を
即時に殺すような苦痛はめったに嘗めたことがない。

それですらある場合には命の心棒をむりやり曲げられるとでもいわなければ形容
しようのない活力の燃焼を内に感じた。

この二つの争いが起こるたびに、常に頭(ヘッド)の命令に屈従してきた僕は、ある時
僕の頭(ヘッド)が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸(ハート)が
弱いから屈従するのだと思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、
人知れず、わが命を削る争いだという畏怖の念から解脱することができなかった。

胸中の元神と心中の識神の不調和を見事に表現しています。

心(ハート)は神明を発露するところであり、心を使いすぎると神明が常に心から発露
するので、心は発熱する傾向になる。中医学でいうと「心火」の状態です。

自覚することはできるのですが、まだ科学的に解明されているわけではありません。

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