俳句の善し悪しはまったくわからないのですがこの本に書かれている友人、もしくは弟子に対する励ましの言葉がすばらしいです。これの言葉自体が子規の目標でもあった。病床にあり、苦辛に耐えながら自分の仕事を貫き、さらに悩めるものに対する助言もしくは叱咤する姿は子規に非常に興味を持つことが出来ました。小学生の時に母の父から、漢籍の素読を教育されたということは羨ましく読みました。いくつかご紹介しましょう。「世界を大観し、心境を闊(ひろ)くし、不屈不撓の精神を以てどこまでも横着に世渡りすること肝要と存候。」
「俗界に立ちて己レノ素志を貫こう」 名宛人 石井露月
子規没後、露月は次のように言っています。
「子規君の此書を灯火に披(ひら)き見たる夜、胸の中何故とは知らず掻きむしられるように覚え、独(ひとり)黯然(あんぜん)として泣かんと欲したことがある。」
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「世の中に生まれて人にすぐれた材能(才能)を持ってそれ相応の仕事をする、それには貧乏という困難の打ち勝ち,名利という悪魔に抵抗し、肉体の快楽は殆どその仕事の犠牲に供してしまふて一生懸命やって居る。それでも世の中はくだらない奴の仕事にむかって過分の報酬を払ふて居るくせに、其えらい人に向かって相当の報酬を払ふてくれぬ許りでは無く,只一言「善くできた』ともいふてはくれぬならば、側で見て居て随分いまいましい位だから、当人に取っては嘸(さぞ)かし腹の立つことだろう。」
これは炭太祗(たんたいぎ)に対し後世に作品をのこして最終の審判を乞ふことが出来るからあながち現生に於いて虚名を争い虚利を射なくとも善いのである。と励ましています。子規が太祗の再評価に力をかしたようです。
一冊のほんですが子規の人間性に触れることが出来るすばらしいい本です。
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